「正義の味方」と聞くと、私たちは反射的に安心する。
ウルトラマン、アンパンマン、水戸黄門。
悪を倒し、人々を救う存在——のはずだ。
だが、少し立ち止まって眺めてみると、そこには奇妙な違和感がある。
正義の味方は、だいたい迷惑である
〜ヒーローという名の公害〜
「正義の味方が来たぞ!」
この言葉ほど、周囲の人間にとって恐怖な宣言はない。
「悪を倒した」という結果だけが正義を名乗る根拠。
被害、犠牲、後始末については沈黙。
ウルトラマンという“後始末をしない巨大公害装置”

ウルトラマンは地球を守る正義の象徴、ヒーローだ。
だが冷静に見てほしい。
彼が怪獣を倒したあとを思い出してほしい。
バルタン星人を倒して遺体処理ゼロ
怪獣、宇宙人の死体はそのまま放置。
バルタン星人を倒したあと、ウルトラマンは知らん顔で空へ飛び去る。
都市破壊はデフォルト仕様
ビルは盾、ビルはなぎ倒され、道路は陥没
鉄塔は武器、街は怪獣と戦うリング
誰が後始末をするの?自衛隊?清掃業者?
瓦礫の下敷きになった人々のことは?
遺体はそのまま、街は瓦礫の山、被害総額は怪獣以上。
だが請求書は一切届かない。
住民の生活再建は描かれない。
勝利の責任や後処理は、常に人間側に丸投げだ。
戦場選択が最悪
毎回「人が一番多い場所」で戦闘開始。
無人島という選択肢はなぜか存在しない。
3分で帰る責任感
カラータイマー=「そろそろ帰るのであとは人類でどうぞ」。
霞が関ビルや東京タワーをなぎ倒しておいて、最後はシュワッと空へ。
正義の名のもとに帰るな!
しかも彼は言わない。
「ごめんね」
「修理代出すよ」
「後はよろしく」
何も言わず、シュワッと飛び去る。
これは正義か?
「悪を倒した」という一点だけで、
その過程で生じた被害は“なかったこと”にされる。
完全に怪獣より被害がデカい。
考えてほしい。
怪獣が来なければ、街は壊れなかった可能性が高い。
つまり、
怪獣+ウルトラマン = 災害確定
ウルトラマンという“巨大な災害
正義とは、本当にそれでいいのだろうか。
これは正義というより 「巨大生物による一方的な私闘」である。
正義のための戦争なら市中で戦いを繰り広げて街を大胆に破壊し、市民を犠牲にしても仕方がないのだということを観ている子供に暗に植え付けているようにも思える。
➡ 結論
正義の顔をした、巨大な通り魔(不可抗力扱い)
水戸黄門という“印籠テロリスト"
※水戸黄門(徳川光圀)は実在しましたが、ウルトラマンと同じく創作されたフィクションです。

水戸黄門は弱きを助け、悪を斬る。
だが冷静に見れば、彼が切り捨ててきた人数は相当なものだ。
しかも最後に出てくるのは、
絶対服従を強いる印籠=国家権力の象徴。
「この紋所が目に入らぬか」 →免罪符の提示
——この一言で、すべてがチャラになる。
・裁判なし
・事情聴取なし
・弁明の機会なし
・即・制裁
しかも全国行脚。
・それまでの暴力
・流血
・死亡者数
すべてがなかったことになる。
越権行為のオンパレード
司法・行政・軍事を一人で兼任。
印籠一発で三権分立は崩壊
ここにあるのは対話ではない。
正義の名を借りた強制力だ。
悪代官が悪いのは事実かもしれない。
だが、毎回ほぼ皆殺しである。
冷静に考えてほしい。
旅の途中で
・因縁をつけ
・斬り合い
・相手を斬殺
しかし最後に印籠を出せば、「いや〜実は偉い人でした!」で終了。
現代でやったら、
連続殺人犯+職権乱用で一発アウトである。
水戸黄門が旅した地域の治安統計を見てみたい。
間違いなく「原因不明の大量死亡事件」が多発しているはずだ。
正義の顔をした高齢無双プレイヤー、それが水戸黄門である。
「この紋所が目に入らぬか」
正義が権力と結びついた瞬間、
それは簡単に「疑うことのできないもの」へと変貌する。
殺した人数は数知れず
「成敗」という言葉で大量殺人を美談化。
正当防衛? 多くは先制攻撃。
地方経済を破壊して去る
悪代官が消えた後の統治?
後継? 治安? すべて知らない。
旅を続ける無責任さ
問題を“解決した気”になって次の村へ。
再発防止という概念が存在しない。
悪者は小悪党、正義は大量殺戮
不思議な話だ。
・悪代官 → 数人を苦しめる
・正義のヒーロー → 街ごと破壊、死体の山
にもかかわらず、後者は拍手喝采。
理由は簡単。
「正義」というラベルが貼られているから
➡ 結論
法を超えた瞬間に、正義はただの暴力になる
正義の味方とは、一番自覚のない暴力装置なのだ。
権力付きの正義であり合法的殺戮マシーン
正義のヒーロー共通の致命的欠陥
本当に怖いのは誰か?
怪獣か?
悪代官か?
違う。
・責任を取らず
・被害を省みず
・自分は正しいと疑わない存在
それが、正義のヒーローである。
だからこそ、こう言いたい。
正義の味方が来たら、まずは避難しろ。
守られる前に、
街ごと消される可能性が高いのだから。
最大の問題児、アンパンマンの正義とは何か?

アンパンマンの正義は、依存を生む
アンパンマンは顔をちぎって与える。
空腹の人を即座に救う、優しいヒーローだ。
だが、考えてみてほしい。
・なぜ空腹になる構造は変わらないのか
・なぜ毎回、同じ救済が繰り返されるのか
アンパンマンは問題を解決しているのではなく、
問題を延命しているだけではないか。
善意はある。
しかし、善意が「考える力」を奪うこともある。
① 食料の偏在を固定化している
アンパンマンは「その場しのぎ」しかしない。
空腹の根本原因
・貧困
・格差
・流通
・社会構造
これらは一切改善しない。
顔をちぎって黙らせるだけ。
これは慈善ではなく
依存を生む応急処置である。
② 自己犠牲という名の強要モデル
「困っている人がいたら、身を削れ」
この思想を子どもに刷り込むのは、かなり危険だ。
・疲れても休むな
・自分を大切にするな
・与え続けろ
結果どうなるか?
👉 ブラック企業適性MAX人材の完成
アンパンマンは
優しさの皮をかぶった
自己破壊教育アニメとも言える。
③ バイキンマンは本当に悪か?
発明力
行動力
向上心
創造性
どう見ても有能。
むしろ社会に必要なのは
バイキンマンの技術とエネルギーではないか?
アンパンマンは
その芽を毎回、力で潰す。
これは正義か?
それとも既得権益の守護者か?
➡ 結論
正義のヒーローとは「問いを奪う存在」である法を超えた瞬間に、正義はただの暴力になる
正義の味方は、だいたい後始末をしない
彼らはこう言う。
・考えるな
・疑うな
・従え
・拍手しろ
正義が派手なほど、
被害は見えなくなる。
だからこそ
正義の味方は、疑われなければならない。
ヒーローが無傷な世界ほど、裏では誰かが後始末をしている。
——たぶん、名もなき市民が。
ワクチンを打つという正義、思いやり
政府はコロナワクチンについて
「感染を防げます」
「重症化を防げます」
「周りの人を守る“思いやりワクチン”です」
といったメッセージを強く打ち出し、接種を促した。
しかし結果として、接種した人のほうが未接種者よりも感染しているように見える状況が生まれ、
さらに多くの人が違和感を覚える出来事が続いた。
突然死、いわゆるターボがん、ワクチン後遺症、
原因不明とされる超過死亡数――
これらの問題が次々と表面化した。
特に痛ましいのは、
「よかれと思って」
「人のためになると信じて」
ワクチンを接種した人たちが、思いもよらないリスクを背負うことになった点なのだ。
政府の発表、テレビに出る医療関係者、影響力のあるインフルエンサーたちの
「善意に見える言葉」を疑わずに信じた結果、
かえって苦しむ人が増えてしまったのではないか――
そう感じる人が少なくない。
まさにこれは
「地獄への道は善意によって舗装されている」
という言葉を思い起こさせる出来事だ。
善意そのものが悪なのではない。
しかし、善意を疑わず、考えず、検証せずに受け入れてしまうことが、
ときに恐ろしい結果を生む。
このコロナワクチンをめぐる一連の出来事は、
「正しそうに見えるものほど、立ち止まって考える必要がある」
という重い教訓を私たちに突きつけているのだ。
「思いやり」という言葉が持つ危うさ
「正義の味方」と聞くと、私たちは反射的に安心する。
ウルトラマン、アンパンマン、水戸黄門。
悪を倒し、人々を救う存在——のはずだ。
だが、少し立ち止まって眺めてみると、そこには奇妙な違和感がある。
現実社会でも、同じ構図は繰り返される。
「みんなのため」
「思いやり」
「正しい行い」
こうした言葉は、とても美しい。
だが同時に、疑問を封じる力を持つ。
ある時期、
「善意」や「正義」を掲げたメッセージが大量に発信された。
それを信じた人たちは、
「良いことをしている」という安心感を持った。
しかし後になって、
・本当に最善だったのか
・他の選択肢はなかったのか
・異論を封じる空気は正しかったのか
そう問い直す人が現れた瞬間、
「非協力的」「冷たい」「反社会的」というレッテルが貼られた。
ここにあるのは、
善意による同調圧力だ。
なぜ善意と正義は、暴走するのか
理由はシンプルだ。
善意と正義は、自分を疑わなくなるから。
・自分は正しい
・自分は良いことをしている
・だから反対する側が悪い
この思考が完成した瞬間、人は最も危険な存在になる。
それは悪意ある悪党よりも、ずっと修正がきかない。
本当に必要なのは「疑う勇気」
正義を疑うことは、悪になることではない。
善意を疑うことは、冷酷になることではない。
むしろ逆だ。
疑わない正義こそが、最も多くの悲劇を生む。
ヒーローを無条件に信じない。
政府や専門家の言葉も、一度立ち止まって考える。
テレビで流れる「正しさ」を、そのまま飲み込まない。
それは反抗ではない。
思考する責任だ。
ウルトラマンも
水戸黄門も
アンパンマンも
そして、私たち自身も。
正義の側に立ったつもりのときこそ、
いちばん注意が必要なのかもしれない。
つまり、正義とは、強い側が名乗った瞬間に成立するラベル
皮肉な真理
本当に善い存在ほど、自分を「正義」とは呼ばない。
ヒーローが堂々と正義を名乗る時点で、すでに何かを踏み潰している。
善意そのものが悪なのではない。
しかし、善意を疑わず、考えず、検証せずに受け入れてしまうことが、
ときに恐ろしい結果を生む。
疑わない正義こそが、最も多くの悲劇を生む。
ヒーローを無条件に信じない。
政府や専門家の言葉も、一度立ち止まって考える。
テレビで流れる「正しさ」を、そのまま飲み込まない。
それは反抗ではない。
思考する責任だ。
➡ 結論 地獄への道は悪意ではなく「よかれと思って」の石畳でできている。
聖戦という名の地獄
さらに視野を広げれば、
「聖戦」「正義の戦争」と呼ばれる争いも同じだ。
どの陣営も、自分たちは正義だと主張する。
神の名、思想の名、自由の名のもとに戦う。
だが、死ぬのはいつも「正義」とは無縁の一般市民だ。
誰もが善意を語り、誰もが正義を信じ、その結果、地獄が現実になる。
まさに
「地獄への道は、善意によって舗装されている」
という言葉が示す通りだ。
正義を疑うことは、冷酷さではない。
善意を検証することは、裏切りではない。
むしろ、
正義を無条件に信じることこそが、最も危険なのだ。
ヒーローが街を壊していないか。
善意が誰かを切り捨てていないか。
「正しい」という言葉で、思考停止していないか。
正義とは、掲げるものではなく、
常に問い直されるべきものなのかもしれない。