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引っ越しマニア!? その1

田舎ソロライフ

都会を離れ、地方で一人暮らしを始めました。 心と健康を整えるための時間を過ごしています。 日々の小さな発見や、移住生活のリアルを綴ります。 誰も私を知らない場所で孤独にどう生きるかを模索中

気がつけば、家が何度も変わっていた

私は、今までの人生でかなり引っ越しが多いほうだと思います。

「引っ越しが趣味です」というほどではありませんが、振り返ってみると、

「私、いったい何回引っ越してきたんだろう?」

と思うくらい、住んできた家が多い。

しかも、そのほとんどは自分の意思で引っ越したわけではありません。

まずは子ども時代。

私が生まれてから小学生のころまでに、親の都合で4回引っ越しています。

つまり、生まれた家を含めると、小学生になるころまでにすでに5つの家で暮らしていたことになります。

3~4歳のころの家は、今でも覚えている

幼いころのことは、普通ならあまり覚えていないものなのかもしれません。

でも、3~4歳くらいのころに住んでいた家のことは、意外とはっきり覚えています。

そこは、今でいう「長屋」のような家でした。

そして、なんとネズミが出ました。

近くにはホルモン焼きのお店があって、その店の子どもと遊んだこと。

三輪車に乗っていたこと。

そんな断片的な記憶が残っています。

今では、その場所をGoogleマップで見ても当時の面影はありません。

建物はとっくに取り壊され、再開発されてしまっています。

自分が幼いころに実際に歩いていた場所が、何十年も経つと跡形もなく変わっている。

そう考えると、なんだか不思議な感じがします。

その後、新しくできた公営団地へ引っ越しました。

そして、また近くに建った別の公営団地へ。

こうして書くと「引っ越し貧乏」のようですが、そういうわけではありません。

むしろ逆で、我が家の場合は、

貧しかった家から、少しずつ住環境をグレードアップしていくための引っ越し

だったのだと思います。

小学3年生で、また引っ越し

そして小学3年生の9月。

ちょうど2学期が始まるころ、今度は市の中心部に近い場所にある、小さな新築一戸建てへ引っ越しました。

ここで私は転校することになります。

体育の授業では、ちょうど運動会の練習をしていた時期だったと思います。

でも、転校してきたばかりだったため、ほとんど練習に参加できませんでした。

そのため、運動会の種目への参加を免除されて、不参加だったような……。

このあたりは、もうかなり昔のことなので、記憶が曖昧です。

ただ、学校そのものの違いは、かなり印象に残っています。

小学校に入学したときの学校は、まだできて6年ほどの新しい校舎でした。

鉄筋コンクリートの建物で、暖房はガスヒーター。

ところが転校先は、まるで別世界でした。

明治時代に建てられたのではないかと思うほど古い木造校舎があり、音楽室には木製の机と椅子。

しかも、最近の学校にあるようなスチールパイプの椅子ではありません。

机も椅子も、全部木。

各学年の教室はモルタル外壁の校舎だったと思います。

それまで新しい鉄筋コンクリートの学校に通っていた私にとっては、

「なんだ、この学校は……」

というくらいのギャップでした。

そして、さらに驚いたのが暖房です。

石炭ストーブ。

今では、石炭を燃料にするストーブなんて、ほとんど見ることがありません。

ところが当時の学校では、日直の仕事として、毎朝、裏庭に山盛りに積まれている石炭をアルミのバケツに入れて、教室まで運んでいました。

今振り返ると、ものすごく時代を感じます。

新しい団地と、ワイルドな子ども時代

ただ、引っ越す前の団地にも、それなりに楽しい思い出があります。

その団地は、高地を切り開いて開発された場所でした。

周囲にはまだ草がぼうぼうに生えている場所がたくさんありました。

子どもたちは、そんな場所をかき分けて、

「こっちに道がある!」

「この先はどうなってるんだろう?」

と、道なき道を探検していました。

ススキの中を進んでいて、葉っぱで手や足を切って血を流したこともあります。

今だったら、親が見たら、

「そんなところ行ったら危ない!」

と止めるかもしれません。

でも、当時はそれも遊びの一つでした。

一方、引っ越した先は海が近い場所でした。

砂浜でバドミントンをして、シャトルが松の木に引っかかる。

するとラケットを松の枝めがけて投げて、シャトルを落とそうとする。

そんなことをしていました。

海の近くの空き地では、自転車の練習もしました。

補助輪を外して、何度も転びながら練習して、ようやく自転車に乗れるようになった。

そんな記憶も残っています。

そして私は、その場所で高校卒業までの9歳から18歳までを過ごしました。

子どもの9年間は、とても長い

今考えると、9歳から18歳までの9年間というのは、ものすごく長い時間です。

子どものころは、入学、進級、卒業、新学期……と、毎年毎年、大きな変化があります。

大人になってからの9年間とは、時間の感じ方が全然違います。

その9年間の中には、中学時代もありました。

ただ、中学時代にはあまり思い出したくないこともあります。

家庭科の授業やクラブ活動など、限られた人間関係の中で、軽いいじめのような経験もありました。

私は兄が二人いる男兄弟の中で育ったので、女子同士の細かい人間関係や、ネチネチした感じがどうも苦手でした。

なぜか私は、女子からいろいろ難癖をつけられやすかったような気もします。

今となっては、もうあまり思い出したくありません。

高校時代も、あまり楽しい思い出ばかりではありません。

偏差値の低い私立女子高校で、制服も好きではありませんでした。

そして、当時は女性専用車両なんてありません。

朝の満員電車では、ほとんど毎日のように痴漢に遭いました。

今では考えられないような時代です。

私鉄から国鉄、現在のJRに乗り換えて通学していたのですが、駅のホームでは喫煙も普通にOKでした。

ホームの下の線路には、タバコの吸い殻が大量に落ちていて、まるで灰皿のようになっていた。

これも、今の駅しか知らない人が見たら驚くでしょうね。

時代が変わって、喫煙場所もなくなり、さまざまなルールや規制も増えました。

昔より格段にマナーが良くなった部分もあります。

今では、ちょっと変な行動をしたり、ルールに反することをしたりすると、誰かにスマホで撮影されてSNSで拡散されることもあります。

最近は、岡田斗司夫さんが言っている「ホワイト社会」という言葉が、なんとなく実感できるようになってきました。

良くも悪くも、昔とはずいぶん違う世の中になったものです。

高校卒業後、今度は兄とマンション暮らし

高校を卒業すると、私は専門学校へ進みました。

学校が自宅から遠かったため、途中から下宿のような形で、兄と一緒に暮らすことになりました。

住んだのは、ファミリー向けの2LDKの新築マンション。

分譲賃貸という形の借家でした。

私は学生なので、私の分の家賃と学費は親が負担してくれました。

高校も私立。

そして専門学校も、それなりにお金がかかります。

決して裕福な家庭ではありませんでした。

むしろ、私は就職するのをゴネた……と言うと少し語弊がありますが、すぐに就職せず進学することになったのです。

そして、後になって分かったことがあります。

当時、母は消費者金融から借金を重ねて、そのお金を工面していたのです。

80年代当時は、お金を借りれば年利29%などという高金利も珍しくありませんでした。

今考えると、かなりの金利です。

「トイチ」まではいかなくても、十分に高い。

そんな事情を後から知った私は、

「高卒で就職しておけばよかったなあ……」

と、つくづく思いました。

2LDKのマンションと、2~3畳の部屋

専門学校では情報処理系の勉強をしていて、学科は一応、電子工学科でした。

私は算数や数学が得意ではありません。

それなのに電子工学。

今考えても、なかなか無謀な選択だったと思います(笑)。

入学試験はなく、大学受験に失敗した人や、浪人していたけれど大学進学を諦めて専門学校へ来た人などもいました。

1クラス40人くらいで、女子は8人。

地方から出てきた人と地元の人が半々くらいだったと思います。

その中の一人が、学校の裏手にあるアパートで一人暮らしをしていました。

ある日、ほかの女子たちと一緒に、その子の部屋へ遊びに行きました。

そこで私は驚きました。

部屋が、ものすごく狭い。

2~3畳くらいしかないのです。

「えっ、ここで生活してるの?」

と思いました。

一方、私は親に家賃の半分を負担してもらい、社会人だった兄と2人で、ファミリー向けの2LDKマンションに住んでいました。

2人で住むには、十分すぎるくらい広い。

なんだか、

「私、こんなに親に負担してもらっていいのかな……」

という気持ちになりました。

しかも、親は借金をしながら、そのお金を工面していたのです。

当時の私は、そんな家庭の事情を深く考えていませんでした。

でも、後になって振り返ると、

「あのとき親は、かなり無理をしていたんだな」

と思います。

こうして振り返ってみると、私の人生は本当に「引っ越し」と切り離せません。

長屋、公営団地、新しい団地、小さな一戸建て、兄とのマンション暮らし……。

住む場所が変わるたびに、学校も変わり、周囲の風景も変わり、そこで出会う人も変わりました。

そして、このあとも私は、まだまだ引っ越します。

どうやら私の「引っ越し人生」は、ここからが本番だったようです。

――「引っ越しマニア!?その2」へ続く。