工場で働いていた頃のこと
大阪に住んでいた頃、私はお菓子メーカーの工場でパート勤務をしていました。シフトは毎日5時間、午後5時から10時までの契約です。
同じ職場には、とても印象に残る独身女性がいました。その人は工場だけでなく、洋食屋さんも店長と二人で切り盛りしているとのこと。高校卒業後はちょうど「就職氷河期」で、最初に就職したのは外食産業。そこを退職した後、同僚と一緒に洋食屋を始めたそうです。
彼女の一日は、午前10時から午後4時まで洋食屋、夕方5時から夜10時(時には11時過ぎ)まで工場勤務。まさにダブルワークです。工場は原料の温度管理のため年中暑く、さらに生産終了後は機械清掃があるので真冬でも汗だく。私はそれだけでヘトヘトでしたが、彼女は毎日10時間以上働いていたのです。
やがて彼女は、工場の仕事が終わった後に「うどん屋さん」でも働き始めました。週2〜3回のトリプルワーク。驚くしかありません。
彼女の背景
彼女は自分の身の上を隠さない人でした。
親のW不倫や異父兄弟の存在、妹が妊娠中に配偶者から暴力を受けた話、離婚後の母子家庭の苦労など…。もしかしたら、家族への資金援助のために身を粉にして働いていたのかもしれません。
「体力があるから大丈夫」と彼女は笑っていました。すべてパートの掛け持ちですが、収入はサラリーマンの月給並み。確かに体力と根性があるからできる芸当です。ただ、もし倒れたら収入ゼロ。代わりはいくらでもいる仕事だからこそ、時間を切り売りするしかない現実があります。いつも眠い眠いが彼女の口癖でした。
工場と人間関係
工場は労働環境のきつさだけでなく、人間関係も複雑でした。働く人の頭数が多い分、良い関係ばかりとは言えません。苦手な人と同じグループ作業になると最悪です。たまに食事に誘われても、話題は他人の悪口ばかり。共感しているふりはしても、イヤ、あなたに問題があるでしょと内心は思いましたが口には出さず。あとは現場でパワハラのようなイジメを何度か目撃しました。
たまたま私がそういう人に当たっただけかもしれませんが、工場で働いていると性格まで歪んでしまうのでは…と思うこともありました。
工場と労働環境
工場の時給は大企業なのに最低ライン。建物は立派に建て替えたり、人手でやっていた作業を自動化していました。なのに時給は入社8年目以降でやっと一年毎に時給が10円ずつの賃上げ。大企業がお金を内部留保していても遣い道は設備投資です。末端の作業員は安い労働力でしかありません。求人を出しても人が集まらず、中国やベトナムから技能実習生を受け入れ、通訳まで配置されていました。
私自身も、固定シフト以外に午前中の勤務を追加していた時期があります。母の介護があったため、病院の通院に車椅子を押して片道2kmを往復。車もなく、介護タクシーも節約していたので体力的に本当に大変でした。通院以外の日に朝と夜のシフトを入れていました。いったんシエスタのように昼食のために自宅に戻っていました。そんな優雅なものではありませんが、母の夕食の作り置きをしたり短時間の昼寝をしたり。それでも、午前8時~12時、そして夕方5時~夜10時半まで働く日々。夜遅くまで働いた翌日の朝出勤は本当に眠くて仕方なかった。今振り返ると「よくやっていたな」と思います。安い時給のために自分の時間を切り売りし続けていたのです。
いま思うこと
彼女がトリプルワークを選ばざるを得なかったのも、私が時間を削って働き続けていたのも、個人の問題というより日本の労働環境の問題が大きいと思います。
私は甘いものが苦手で、社販の安く購入できるお菓子は無視していました。どのように生産しているかを目の当たりにすると食べる気が失せました。不衛生な感じもします。砂糖の塊をなんでみんな美味しく食べるのか気が知れません。「おいしさと健康」という当時の企業のキャッチコピーに「えぇぇえ?けけけ健康?」甘いもの依存と中毒にしてリピートさせるのが菓子メーカーの魂胆です。高カロリー&高血糖は体に負担ですし虫歯になります。どちらかというと子供向けのお菓子なのに。自分が疑問に感じているモノの製造に協力するなんて葛藤の日々でした。
私はもうあのような工場、そして働き方には二度と戻りたくありません。